KATO スハ32系 中央本線普通列車セットについての戯言 |
KATOさんのセールストークです。
「昭和45年(1970)頃をプロトタイプとし、マヌ34、スハ32、スハフ32を新規製品化」とあります。
ネコパブリッシングの「国鉄暖房車のすべて」によると、甲府配置のマヌ34の廃車時期は1970年から72年にかけてです。これはOK。
鉄道ピクトリアル777、778号でスハ32の最終配置を見ると、
以下の番号が電気暖房未取り付けのまま飯田町で廃車になっています。
186、1970.12.22
188、1970.08.19
190、1970.02.05
191、1970.02.05
195、1970.12.22
196、1970.08.19
211、1970.01-22
215、1970.02.05
おまけにスハ32のTR23台車を、スロ54の冷房化、スロ53やスロネ30の荷物車化の際にTR40B台車に振り替えたスハ33も以下の車両が飯田町で廃車になっています。
187、1969.02.13
218、1971.02.15
311、1971.02.15
因みにTR40BはTR47にそっくりですから、台車を取り換えるだけで模型でもカンタンにできますよ!
スハフ32は以下の3両が飯田町最終配置です。
103、1968.02.15
283、1970.08.19
401、1971.02.15
スユニ61 43は1967年8月に改造されて以降、1970年度途中まで長野、その後は佐倉、74年度に宇和島に移り1975年5月にオエ61 51に改造されています。
ということで、今回は戯言を言わなくてよさそうです。
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飯田町、甲府、松本はEF64が入って以降は電気暖房車の配置のほうが多かったのです。EF64が牽くほうは電気暖房車だけで編成をして、EF13+暖房車のほうは非電気暖房車と運用を分けていたのでしょう。現場は面倒だったと思います。