KATO「妙高」セットについての戯言 |
客車「妙高」は上野を次の日になる直前の深夜発、確か5時台の早朝着だったので写真がありません...
辛うじて東大宮に回送になる編成を大宮でちょっと撮っただけです。
1982年4月23日「妙高」回送 大宮
「妙高」は寝台が尾久持ちで、座席車は直江津持ちでした。
今回KATOはマニ37を目玉にしたかったのでしょうか?
オユ10とマニ37がついていた昭和50年3月から53年10月までの編成をで模型化したようなのですが、
尾久のオハネフは12と13が5輌ずつの配置だったので、
少なくとも1輌はオハネフ13にして目玉に欲しかったなというところです。
一方座席車のほうですが、晩年は隙間風がひどくなって急行運用からははずれていましたが、
昭和50年代前半だと直江津には多く配置されていたナハ10・11が入っていたほうが自然です。
オハフは急行にオハフ33が使われていただけでも面白いのですが(写真は名マイ配置車でイメージです)、
オハの代わりにしばしば珍車スハ40(この時点で残存が7輌)使われていたのが目撃されているので、
スハ40も模型化すれば面白かったのにと思います。(写真は仙セン配置車でイメージです)
にほんブログ村
客車列車
私もこのセット内容には少し疑問を感じています。新規になるオハネフ13やスハ40はともかく、おっしゃるようにナハが入っても良かったのでは?
ところで、上の写真ではオユ10の屋根が銀色ですね。オハネフ13も汚れていますが銀に見えます。
セットでは単品との差別化のためかグレーになるようですが、逆にこの辺りに手を入れてやると個性が出せそうです。
ポスターの写真はEF62も二次型ですし、機関車の次位は明らかにオハフ45ですし、さすがKATOちゃん、ツメが甘い!というところでしょうか。