2010年 06月 13日
スハネ16 510 |
「まりも3号」で釧路に着いたスハネ16 510です。
到着後、根室行きの乗継まで10分あったはずなのですが、なぜこの車輌しか撮っていないのか?です。
スハネ16 510(札サウ)1982年8月29日 釧路

1982年8月28日札幌発の「まりも3号」です。
DD51 634 [釧]
オハネフ12 506(札サウ)
オハネ 12 507 〃
スハネ 16 510 〃
スハネ 16 513 〃
スハネ 16 508 〃
オロネ 10 506 〃
ス ロ 54 505 〃
ス ハ 45 5 〃
スハフ 44 1 〃
マ ニ 36 2250(北スミ)北東航1
オ ユ 10 2525(北スミ)北東航21
この編成のうち、周遊券だけで乗ることのできる自由席は1輌だけでした。
ですから周遊券を使っての北海道旅行のプランは、「まりも」を避けて組みました。
このときは、スロ54に乗りたいばかりに学生の分際でグリーン車をおごりました!
荷物車と郵便車は青函連絡船に載って東京から根室まで行っていました。

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客車列車
到着後、根室行きの乗継まで10分あったはずなのですが、なぜこの車輌しか撮っていないのか?です。
スハネ16 510(札サウ)1982年8月29日 釧路

1982年8月28日札幌発の「まりも3号」です。
DD51 634 [釧]
オハネフ12 506(札サウ)
オハネ 12 507 〃
スハネ 16 510 〃
スハネ 16 513 〃
スハネ 16 508 〃
オロネ 10 506 〃
ス ロ 54 505 〃
ス ハ 45 5 〃
スハフ 44 1 〃
マ ニ 36 2250(北スミ)北東航1
オ ユ 10 2525(北スミ)北東航21
この編成のうち、周遊券だけで乗ることのできる自由席は1輌だけでした。
ですから周遊券を使っての北海道旅行のプランは、「まりも」を避けて組みました。
このときは、スロ54に乗りたいばかりに学生の分際でグリーン車をおごりました!
荷物車と郵便車は青函連絡船に載って東京から根室まで行っていました。
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by kyuukouechizen
| 2010-06-13 23:28
| 10系
|
Comments(4)
「まりも」の前の「狩勝」時代は自由席車両が連結されてなくて、泣く泣く指定席にした思い出があります。
道内でのグリーン利用は、社会人になってからでしたが、やはり快適でした。
道内でのグリーン利用は、社会人になってからでしたが、やはり快適でした。
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こんにちは
越前様 本当にいろんな所へ行かれて撮影されているんですね。
編成は詳細な車両番号まで・・・また窓の開いたスハネ16 参考になります、スライドして下に開いているんですかね。模型はみな閉まってますから・・ 貴重な写真ありがとうございます。
越前様 本当にいろんな所へ行かれて撮影されているんですね。
編成は詳細な車両番号まで・・・また窓の開いたスハネ16 参考になります、スライドして下に開いているんですかね。模型はみな閉まってますから・・ 貴重な写真ありがとうございます。
シービーさま
そうですね。長いこと時刻表に「全」のマークが燦然と輝いていました。
この後11月の改正前に「鳥海」に乗るチャンスがあったのですが、自由席でした。今思うとなぜスロ62に乗らなかったのかと悔やまれます...
そうですね。長いこと時刻表に「全」のマークが燦然と輝いていました。
この後11月の改正前に「鳥海」に乗るチャンスがあったのですが、自由席でした。今思うとなぜスロ62に乗らなかったのかと悔やまれます...
j1020suzuさま
このころは旧型客車が急速になくなりつつあるときで捜して乗っていました。
今のように情報がなく、時刻表で客レの表示でも行ってみたら50系ということもよくありました。
10系ハネは寝台側は上昇窓、廊下側は下降窓でした。
(でも、この下降窓のおかげで車体の腐食が激しかったようです。)
通路に立つ旅客が窓を開けて風に当たれるようになっていたようです。
確かに冷房化されてからは窓を開ける機会も激減したでしょうね。
このころは旧型客車が急速になくなりつつあるときで捜して乗っていました。
今のように情報がなく、時刻表で客レの表示でも行ってみたら50系ということもよくありました。
10系ハネは寝台側は上昇窓、廊下側は下降窓でした。
(でも、この下降窓のおかげで車体の腐食が激しかったようです。)
通路に立つ旅客が窓を開けて風に当たれるようになっていたようです。
確かに冷房化されてからは窓を開ける機会も激減したでしょうね。

