1990年京葉臨海 |
蘇我から歩いていった記憶があります。DLはもともと国鉄色だったのだと思いますが、この時期は不思議な色に塗り変えられています。KATOがNで出しましたね。「KATO」「京葉臨海」でぐぐると出てきます。
村田(現千葉貨物)から蘇我へ単機でお迎えです。手前の線路は川崎製鉄の構内線路だと思います。
内房線から別れるあたりです。いろいろなタキがつながっていますね。
機関車は同じですが、こちらは石油タキ編成です。タキ35000ばかりですね。
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既にこの時期は今と同じくらいの勢いで京葉臨鉄の記録を残せたはずなのですが....勿体無いコトしたなぁ
1988年11月に廃線になった京葉臨海鉄道前川にある出光興産の専用線ですが、末期はNRSの石油タンク車を中心に使用されていたと推測していますが、実際どうでしたかね?
分かる範囲内で教えていただければ幸いです。
出光興産の石油タンク車は1988年4月にはタキ9800形6両を残して全て廃車になったと記事に書いてあったので…
又、NRSの石油タンク車が1989年に大量廃車が発生している事から中には1988年11月に廃線になった出光興産前川専用線で使用されていた車両も多数含まれているものと思われます。
この時が確か京葉臨海に初めて行った時だったと思います。タンク車もまだ撮り始めか、まだ撮っていないくらいで、蘇我~村田の間で撮って満足してしてしまって先の方には行っていません。
出光前川の専用線ですが、1988年11月に運行終了ですが、1988年10月末の航空写真からは貨車が1両も留置されていないのが確認出来ました。
よって、出光前川の専用線は実際には廃止は1988年11月ですが、実際には1988年3月には輸送終了した可能性が高いです。
出光のタンク車で1996年まで残ったタキ9800形6両は1988年6月の地点では既に益田向け輸送に転用されていました。
出光のタンク車でタキ9800形6両以外は1988年3月の輸送廃止時まで出光前川の専用線関連で使用後、翌月の1988年4月に全車廃車されています。
よって、平成(1989年1月7日以降)になってから車籍が残っていた出光のタンク車はタキ9800形6両のみとなります。
同じく出光前川で使用されていたNRSのタンク車は1988年3月の輸送廃止後は神栖駅等で長期休車後、翌年の1989年に廃車された車両が多かったです。
詳しくは以下のホームページリンクで平成初期当時や昭和末期のJR発足当時の貨物専用線の様子等が観覧出来ます、是非ご覧下さい。
地図・空中写真観覧サービス
https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1
空中写真タイムトラベル
https://user.numazu-ct.ac.jp/~tsato/webmap/past/timetravel/